源内先生の伝記・研究書。


平賀源内については、多くの学者の方々が研究されています。
たくさんの伝記・研究書が存在しますが、私が読んだことのあるものを『私見を含め』て紹介します。

* 『平賀源内全集 全二巻』 /名著刊行会
 博物関係の著作、戯作者としての作品、書簡などを納めた全集。昭和の初めに刊行されたものが何度か再発され、私の持つものは平成版です。
 新品では、たぶんほぼ入手は無理。大学が集まる古書店街などには有ります。図書館も、大きなところなら有ります。
 源内の書簡の写真や、故・平賀熊太郎氏の写真、修築前の橋場の墓の写真なども載っていて、貴重と思う人(私)には貴重。
 でも旧字だし原文だし、私には殆ど読めません(涙)。
 
* 研究書

『平賀源内』/芳賀徹/朝日新聞社 
 1989年の書。下記の城福氏の著より情報も新しく、解釈等は”今”の感覚で、理解しやすかったです。
 何より、著者が源内を暖かく好意的に見守っているので、私はこの本がとても好き。

『平賀源内』/城福勇/吉川弘文館
 1971年発行と情報がやや古いことと、著者が大正二年生まれのせいか、解釈に私は違和感を感じました。
 業績・成績・出世重視の視点で、源内を軽佻浮薄と見なしている印象があります。プロデューサーの才能という視点は当然まだ無いです。
 でも、源内の研究書としては一番有名と思われる本で、一番入手もしやすいと思われます。

『森銑三著作集』/森銑三/中央公論社
 森氏の全集に、源内研究の文献が納められています。ただしかなり古いものです。
 後続の他の研究家のかたたちの書では、この文献が読み易く引用されていて、そこで殆ど知ることができます。

『平賀源内展』/監修・芳賀徹/東京新聞
 2003〜4年に行われた平賀源内展の図録です。研究の情報としては最新と思われます。
 カラーページがいっぱいで綺麗な本です。そしてカラーページの殆どは、源内以外の人・・・彼と係わった人・影響を受けた人の作品の紹介。
 時代が新しくなるにつれて源内関係の本は『プロデューサーとしての才能』を強調するものが多くなるようです。
 ただし、やはり「?」もあります。同じ芳賀先生の『平賀源内』(旭新聞社・刊)とは違う部分も。例えば、年表のパウエルとのスランガステインのやりとり、本は宝暦11年、こちらは10年となっています。
 どっち?

『平賀源内を歩く−江戸の科学を訪ねて』/奥村正二/岩波書店
 この筆者も大正生まれですが、2003年に出た本のせいなのか、それとも歴史研究家というより科学者という価値観せいか、お構い等に関する解釈は違和感はありませんでした。ただ、「狂死の理由は独身で寂しかったから」というのは「?」でしたけど。
 物産展の京屋の場所を明確にしたり、源内が居たころの湯島聖堂の平面図を引いて来たり、この筆者が初めてやっています。
 エレキテル以外、量程器や寒暖計のしくみを推察し説明したり。現存する量程器を分解するわけにいかないので、はっきりしたしくみはわかっていないのです。寒暖計に関しては、現物は残っていませんし。でも、当時の情報で「ここまで作れたろう」という物を紹介しています。
 また、源内の科学的な業績(機械作りや鉱物研究)が、当時世界でどれぐらいの位置にあったのか、日本の歴史の中でどの程度のことなのかを検証していきます。科学者としての業績をきちんと評価する本が少ないので、この分析は面白いです。

『平賀源内と中島利兵衛』/中島秀亀智/さきたま出版社
 石綿採掘と火浣布製作、中津川金山採掘事業の二つに関わった中島家。その末裔のかたが書いた本です。家には火浣布や中津川金山事業に関する資料や源内に関する資料が多く残されているという恵まれた環境に有ったそうで、研究者に資料を委ねずご自分で筆を取ったそうです。任せればよかったのに(笑)。どうも身内が書くといけません。事業に巻き込んだ源内に関してひたすら悪口が書いてある本です(笑)。まあ、源内に賭けたおかげで、中島家は随分と財産を減らされたようなので、末裔が「ちっくしょう」と思うのは無理ないか。ただねえ、源内に賭けたのは壮年で分別もあったはずの当人の意志であり、巻き込まれたという被害者意識は「ちょっと甘えてるんじゃないの」と思いますけどねえ。彼も夢を見たかったのじゃないの?それに、文献に乗っ取らない小説張りの推測による中島利兵衛ファミリーの心情ばかり書かれても・・・。
 源内の火浣布製作と中津川金山採掘の資料としては、既に出ている伝記・研究本で十分でした。家に残っていた貴重な資料というのも、家人が残した『源内が来訪した』などの日記です。源内の手紙は写真に撮ったものだけが残っているそうで。筆者は「祖父が公共図書館にでも寄付したのだろうか」だって。公共図書館だったら、とっくに開示されてるのでは?

『別冊太陽/平賀源内』/監修・田中優子/平凡社
 源内の業績を、現代のその方面のプロ達が対談形式で語るという内容です。それぞれのプロが、「凄い」と絶賛する源内の仕事。源内の中には五人くらいの天才が同時に存在していたのだと思わせます。
 特に戯作関係では、海外の同時期の作家で源内と似たものを書いた人と比べたりして、面白かったです。
 そして、1989年出版の雑誌なので、まだ荒俣宏さんは今ほどメジャーではないと思うのですが、彼がこの時代の博物学について語るコーナーも圧巻でした。荒俣さんは、生で「衆鱗図」とか全部見たそうです。羨ましい・・・。
 カラーページが多くて贅沢な雑誌です。惜しげもなく、大きなサイズで博物画やら秋田蘭画やら浮世絵(春信)やらが載ってます。見開きフルカラーで衆鱗図のサメなんてあります。凄いです。


* 伝記(研究書とどう分けるのか?「小説風に読みやすく業績を紹介したもの」という解釈で分類しました)

『源内万華鏡』/清水義範/講談社文庫
 平賀源内が好き、興味があるのでもっと知りたいという人が読むなら、これが一番のお勧め本です。
 源内の行動や思考の説明が、今の感覚としてぴったり来ます。(私が読んだ他の伝記は古いものだったので、源内が人に与えた影響やプロデューサー感覚については無視でしたから)
 源内の人生についての考察も、私の抱いていたものととても似ていて、嬉しかったです。
 幸せって、業績を上げたとか政府(幕府)で出世したとか、そういうことじゃないでしょ?という感覚が根底に流れている本でした。
 ただ、多少の「?」があります。母の死亡時期や妹婿の年齢、春信に与えた錦絵のアイデアの内容など。長崎屋に桂川甫三という「老人」に連れて行って貰ったというような表記もありました。甫三、源内より二歳年下ですけどねえ。
 源内の衆道についても、軽くは触れてありますが、両刀としてありました。友人などの文献にはっきりと『女ぎらい』という表記もあり、作者がなぜ「両刀」としたのかが明確でありません(理由が指し示されていない)。

『平賀源内・江戸の夢』/稲垣武/新潮社
 小説みたいなタイトルですが、伝記本です。文中、所々、小説みたいな箇所もあります。「読者の解釈を助ける為に」と言い訳してますが、作者が書きたかった気がします。源内の戯作も多く引用し、感情に訴える作りにしてある本でした。
 伝記本なのですが、他の本には全く記載のない事があって、しかも文献引用を示していないので、信じていいのかどうか迷うところです。例えば、「自惚れ鏡」のこと。玄白の専門医療のこと。そして、花扇が馴染みの女だったというのは、「ちょっと待て!」でしょう?それって源内の戯作のテーマの根底をひっくりかえすじゃないですかー。他の部分も、この本は殆ど文献を示していません。研究書としては弱いですが、参考程度に読む分には、小説みたいで読みやすくて感動もします。

『大江戸アイデアマン・平賀源内の一生』/中川信彦/さ・え・ら書房
 児童用の伝記書。1978年。図書館で借りました。子供向けなので、科学的な説明がわかりやすいかと思って。

『世界伝記文庫・平賀源内』/今井誉次郎/国土社
 児童用の伝記書。1973年。図書館で借りたもう一冊は、たぶんこの本。

 児童用の伝記はもっと新しいものが出ているようです。情報の新しさや、現代感覚の取り入れ方を考慮すると、「なるべく新しいもの」を読むことをお勧めします。源内の感覚に、やっと時代が追いついたのでしょう。
 また、上記2冊は時々間違いもありました。どちらの本か忘れましたが、妹の里与の年齢が10歳も違ってたり。ドラマ「天下御免」の二木てるみさんの清楚で元気のいい娘姿の里与が脳裏にあったのかも?(笑)



★ 関連研究書 ★

源内の人生を書いたものではありませんが、源内の仕事等を知る為に貴重な書を紹介します。

『悪名の論理 田沼意次の生涯』/江上照彦/中央新書(1968年中央公論発表の評論に加筆したもの 1999年刊)
 田沼の人生や政策をわかりやすい文章でざっと紹介しています。小説のように会話で進む部分もあり、研究書としては肩が凝らず楽しく読める本です。
 側室を作ろうとしない徳川家治を説得するのに、田沼も側室を持たねばならなかたというのは俗説なのか本当なのかわかりませんが、よく聞きます。そして、その約束で作った愛妾が道有の養女の矢場の女だそうです。家治のお知保の方が下賤の出で、彼女の友達を選んだ、ということでした。
 お知保の方が側室になったのが1761年。田沼の側室も同じ時期である筈です。養父の道有は14歳です(笑)。
 田沼意知の殺害については、松平定信が後ろで糸を引いた説を有力に推しているように読めました。定信は、田沼意次を憎悪していて殺意もあったと取れる文章をたくさん残しているそうで、新たな自分の地位を、政治をするのでなくただ田沼への私憤を晴らす為に利用したと取られる行動をしています。
 源内に関しては、蘭学者と交流があった旨を取り上げ、ほぼ玄白と同じ重さで扱う感じでした。田沼と源内の関わりが浅いという解釈のようです。
 一つ気になったのは、「源内が初めて田沼邸の門をくぐったのは1758年・源内29歳の時とありましたが、1758年なら源内は31歳。29歳の時なら1756年です。1756年はまだ江戸に来ていませんから、1758年の方が信憑性があります。でも、源内側のどの研究書にも、はっきりと源内と田沼が「面識があった」「会っている」と書かれたものはありません。「面識があったかどうかわからないが、仕事は受けていた」のようにわざわざ断わっている本さえあるぐらいです。
 田沼意次側の資料には、源内来訪の記録があるのでしょうか。これも興味深いところです。っていうか、歴史学者ってみんな横の繋がりがないのだろーか。それぞれが勝手に研究していて、研究論文を発表又は刊行する迄は秘密にしているんだろうか。

『江戸時代の蘭画と蘭書 全2巻』/磯崎康彦/ゆまに書房・・・2005年上巻 2006年下巻 刊
 源内が持っていたヨンストンと呼ばれる洋書、現在、我々はガラス越しに、展覧会開催側が選んだ頁しか見ることができません。
 この研究書には、ヨンストンの詳細が載っています。章立てから、各巻の表紙の絵から、どんな動物が掲載されていたのかまで、詳しく知ることができます。
 この本から摸写した画家についてや、どういう経路で本が回ったかも説明や推理されています。
 解体新書についてや、参照した図譜の洋書なども詳しく説明されています。
 源内が持っていたとされ、蘭画の参考にしたらいライレッセの大絵画本についてや、源内周辺の人々・・・宋紫石や江漢や中良らの絵画についても書いてあります。
 源内のこと以外でも、ナポレオンの伝記・肖像やロビンソン漂流記についての研究は、面白かったです。
 国防の意味でナポレオン伝記は即座に訳されたようですが、伝記も肖像も識者にはポピュラーになったようで、その後幕末の志士達は、「平民から皇帝になった」ナポレオンを尊敬していた、という説が書いてありました。
 ロビンソン漂流記は娯楽読み物ですから、そんなものまで訳されるようになっていたのに、驚きました。
 また、出島で、オランダ人達が役者となり、日本人達を楽しませた歌劇のことや、シーボルトが北斎の絵に惚れ込んでいたことや、渡辺崋山の「長崎屋の室内の絵」や。長崎屋室内を描いたものは、世界にこれ一枚きりですね。
 貴重な情報、変なネタ(笑)、満載です。


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