プロデューサーとして。


源内の仕事には、学問として分類できない雑多な事も多いです。
また、商品コピーなど、文学作品として扱いにくい物もあります。
人と人を会わせた業績というのもあります。
興行師的なものや、商売としての仕事は、学者先生が書いた研究書ではあまり言及されていません。が、それらも全て、源内の機知とセンスのよさに溢れています。


★ 薬品会
1.「知識の共有化」
源内が押し進めたこの会の意義は、大きかったと思っています。
知識が自分の売り物である医師や学者たちは、自分の弟子にしか知識や技術を伝えないことの多い時代でした。
流派を越え、藩を越えてという考えは、すばらしいと思いますよ。
2.「全国から物品を集う」
日本は細長い国なので、棲息する草木も非常に様々です。知識が偏っていたり、現物を知らず絵の知識しかなかったりという学者も多かったでしょう。
そして、各地の知人に、中継地点として物品の受け取りや取りまとめを頼んだこと。このシステムは画期的でした。
また、物品は着払いにして、「集めること」に重きを置いたこと。
3.「出会いの場」
この薬品会を見る為に、多くの学者が訪れました。そこで源内自身もコネを作りましたが、他の学者達も色々な出会いがあったでしょう。

1757年 宝暦7年 30歳 第一回 会主・田村藍水 湯島『京屋』 出展者20名 180種
1758年 宝暦8年 31歳 第二回 会主・田村藍水 神田・店不明 出展者36名 231種
1759年 宝暦9年 32歳 第三回 会主・平賀源内 湯島『京屋』 出展者34名 213種
1760年 宝暦10年 33歳 源内は高松で藩の仕事中。だが江戸では第四回が行われている。 会主・松田長元 市ヶ谷・店不明 出展者・出展数不明。源内が参加(出品)したかどうかは不明。
1762年 宝暦12年 35歳 『東都薬品会』 会主・平賀源内 湯島『京屋』 出展者不明 1300種
 源内がかかわった大規模な博覧会は『東都薬品会』で最後だが、この後も、藍水の息子や淳庵などの手で薬品会は行われていた。

料亭で行いながら、酒・食事は全く出さなかった。
京屋は、湯島天神近くの中坂に面した場所にあった。
会は、スポンサーとして、懇意の薬屋などが強力した模様。


★ 鈴木春信の錦絵
春信が始めた多色刷りの浮世絵に、源内も関わっていたという説がある。説があるだけで、確証は無い。森島中良がエッセイで書いた「翁」は、普通に読めば春信だと読めるのだが・・・。だが、春信と源内は隣人であり仲も良かったようなので、アイデアを出し合った可能性は確かに高い。
多色刷り以外にも、色を乗せないエンボス手法と、源内の金唐革細工の型押し手法など、春信と源内の仕事には共通点がある。
あくまでも「可能性」ですが。
錦絵の最初は1765年。春信・画の「暦」でした。
今は、一年の大の月と小の月は毎年同じですが、江戸時代は違っていました。また、時々うるう月があります。そこで、毎年、大の月と小の月がわかるような「暦」が必要になります。当時、粋なアイデアや美しい絵の「暦」が大流行だったのです。

★ 源内焼き
最初の長崎から帰り、最初に藩を辞職した頃、地元で始めたらしい。
源内の指導で、赤松松山・脇田舜民などの地元陶芸家が作っていた。
唐物のような華やかな色合いや、世界地図の絵柄など、舶来趣味が特徴。

★ 源内織り
志度で羊毛用の羊を育てたらしいのだが、その羊を長崎から連れて来たのが最初の時か二度目の時か不明。
大坂にて羊毛でラシャを織らせた。時期としては二度目の長崎の帰路。
羊が死んでしまったので、その後、事業としては続かなかった。

★ 金唐革細工
今まで革製品で、しかも舶来品で高価だった「金唐革」を、革でなく紙を使用して再現。
ヒット商品で、後年の源内の生活をかなり支えた模様。源内の家はこの仕事の為の工房と化していた。

★ 菅原櫛
源内櫛というのは、最近の呼び方。
伽羅の木は、現代でもとても高価な香木。それを櫛に使い、銀輪の輪郭で地味な飾りがついたもの。
装飾は他には梅の紋様が付いているだけ。梅鉢の紋様は、菅原道真の紋である。
ちなみに、平賀家の紋も梅鉢。九州・瀬戸内海地方は菅原道真への信仰が強く、梅鉢の紋の家が多いのだ。

★ うぬぼれ鏡(???)
それまでの鏡は銅を磨いたものだったが、源内は、ガラスの後ろを黒くして(塗ったのか紙か布を敷いたのか?)、現代の鏡と同じ手法のものを売っていたそうである。銅の鏡と違い、明るくはっきり写り、とてもきれいに見えるので「自惚鏡」のネーミングなのだそうだ。
この情報は『平賀源内・江戸の夢/稲垣武』の一冊の本で見ただけで、その本も情報源を引いておらず、他の伝記・研究書には全く表記が無い。
* 名古屋の小説家・水谷不倒の「平賀源内」に「自惚鏡」の文字があるのを、最近見つけました。小説ですけと゛。

★ 商品コピーなどなど
1.きよみづ餅
2.漱石香・・・ハミガキ粉です。江戸時代のハミガキ粉は、房州砂に薄荷などの香料を混ぜたもの。

★ 芝居と商品タイアップ!『神社』と『破魔矢』
源内が福内鬼外のペンネームで書いた「神霊矢口渡』。
これはもともと、新田神社の宣伝として書かれた浄瑠璃である。
そして。さらに!
新田神社の御塚(新田義興の墓)に竹が生えていたのだけど、質が悪いのか乾燥のせいなのか、ある程度育つと亀裂が入って割れてしまい、売れる物には育たなかった。そこで、その「亀裂が入る」を逆手に、「矢守」(破魔矢)として販売。そして他の神社も真似して破魔矢を売り出すようになった。

★ 土用の丑の鰻
あまりに有名なので、説明するのもアレですが。今や源内といえば「エレキテル」より鰻で有名なようです・・・。
ちなみに、「土用」というのは四季それぞれにあるので一年に四回あります。
鰻(天然物)は本当は冬が旬ですが・・・。夏場に不足しがちなビタミンB群を含む鰻。夏バテに効くという知識があったのでしょう。

★ 小田野直武を玄白に紹介
ストレートに『解体新書』の挿絵画家として紹介したわけではないかもしれませんが、玄白たちが直武を知るのは、当然、源内が秋田で直武に出会ったからです。『解体新書』の挿絵の素晴らしさが、本をかなり助けたと思いますよ。


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