源内先生のお仕事。


 ざっと、やったことを知りたい皆様のために
 (もう少し詳しく知りたい方は こちら。をどうぞ)

平賀源内 ★ ひらが・げんない
1728?〜1779 讃岐国志度(現在の香川県さぬき市志度町)に生まれる。
(生まれ年は逆算による)
源内は俗名。呼び名、です。学問では「鳩渓(きゅうけい)」という名を使い、戯作(小説)を書く時には「風来山人」などを使いました。
俳句では「李山(りざん)」、浄瑠璃作者(芝居の脚本家)としては「福内鬼外」という名前を使用しています。

1.高松藩士の頃は薬園の仕事をし、サトウキビ栽培や朝鮮人参作りにも関わりました。衆鱗図などの図鑑作りにも関わりました。
2.博物学者として、博物学の色々な本を書きました。
3.日本で最初の博覧会を開催しました。
4.小説を書いて大ヒット。「源内ぶり」という表現方法は、その後の日本の小説の描写に影響を与えました。
5.浄瑠璃の脚本を書き、これも大ヒット(したのや、しないのや)。
 それまでは上方(関西)で作られ、言葉も上方のものだった浄瑠璃を、初めて江戸言葉で書きました。
 「神霊矢口渡」は現在も歌舞伎で上映されています。
6.色々と製作しました。
 * エレキテル ・・・ 壊れていた外国製のエレキテルを、「日本にある材料を使って」複製した。これが一番正しい表現と思います。
 * 量程器(万歩計)  * 方位磁石 * 平行儀 * 寒暖計 
7.日本で最初の油彩西洋画を描きました。
8.秋田で西洋画を指導。これが秋田蘭画の始まりとなります。
9.鉱物学者として金山銀山鉄山などの開発・発掘を指導。成功したりしなかったり。日本で亜鉛を初めて発見しました。

10.石綿を使って燃えない布(火浣布)を編む研究。小さい物だが、一応成功はしている。
11.羊を輸入し、羊毛から織物を織った。
12.アイデア溢れるブランド商品の制作・販売
 * 菅原櫛(伽羅という高級で香りのよい木を加工) * 金唐皮紙細工(高価な皮でなく紙を代用した細工)
 * 源内焼(世界地図やアルファベットなどをデザインした焼物が有名)
 * 自惚れ鏡(それまでの鏡は銅を磨いた暗いものだったが、ガラスの裏を黒くする現在と同じ方式の鏡を製作販売)
13.歯磨き粉などの宣伝文を書いた、コピーライターとしての仕事。

 以下は、俗説であったり、まだ研究中であったりのようで、「と、言われている」のようなただし書きがつくことが多いです。
14.鈴木春信の錦絵のアドバイス(これには文献がありますが、文章の解釈に違いがあるようです)
15.うなぎ屋へのアドバイス
16.竹とんぼ (源内よりかなり古い時代からあったので、発明した・製作したという事は無いですが、加工して飛びやすくした可能性は大)
17.気球の設計(予算が無くて製作できなかったといわれています)

 洩れもあるかもしれませんが、長くなったのでとりあえずここまでで。
 後日また更新するかも。
 ざっと、やったことを並べただけで、こんなにあるのですね。

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